御本地(ごほんじ)とは、本地垂迹説に基づく宗教的概念で、神仏の本来の姿や本質を指します。
この考え方によると、日本の神々は仏や菩薩が人々を救うために現れた姿(垂迹)であり、その背後にある本来の仏や菩薩の姿が御本地とされます。
例えば、ある神社の祭神は特定の仏や菩薩の垂迹とされ、その仏や菩薩が御本地となります。この概念は平安時代後期から発展し、中世の文学や芸能にも大きな影響を与えました。特に室町時代の御伽草子や説経節などでは、神仏の由来を人間の物語として語る「本地物」と呼ばれる作品群が生まれました。
これらの物語は、神仏の始源を宗教的、信仰的に説明し、民間伝承や在地の説話を巧みに組み合わせて、神仏の人間としての前世や、どのようにして神仏となったかを物語っています。
目次
御本地の代表的な神仏の組み合わせ
- 天照大御神 = 大日如来、十一面観世音菩薩
- 八幡神・応神天皇 = 阿弥陀如来
- 熊野権現 = 阿弥陀如来
- 春日権現 = 不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)、薬師如来、地蔵菩薩、十一面観音
- 素盞鳴(すさのお) = 牛頭天王 = 薬師如来
- 大国主神 = 大黒天
- 稲荷神 = 十一面観音、聖観音、荼枳尼天(だきにてん)
- 天神(菅原道真) = 様々な仏や菩薩(大日如来、観音菩薩、地蔵菩薩など)
これらの組み合わせは、日本の神道と仏教の融合を示す本地垂迹説に基づいています。
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